昭和43年3月、私は農 業高校を卒業し就農した。私は干拓入植した田辺家三代目の農業者になった。
同年7月、松田喜一先生が突然逝去した。 耕地面積15haを運営する松田農場の再建のため父が招聘された。松田農場の15haは県有地であり、農業経営することを条件に県から払い下げを受けた。 私も父の助手として松田農場に勤務することになった。しかし、農業について無知・未熟を感じ、2年後、東京農業大学短期大学に進学した。 大学ではいつも農業現場を想定しながら授業 を受けた。 実学を学んだ。
「農業するのか」と父が問う今から43年前、農水省は施設園芸経営で、夫婦二人で年間360万円の所得を上げるには、どのような経営体系が良いかを模索するため、3カ年計画で全国に19カ所モデル団地を設置した。 「 農水省施設園芸集中モデル団地事業」という。この事業の主旨は、農業法人化と省力化だった。 ちょうど農人在学中だった。父から「 お前は農業をするのか、晨業するなら農水省でこのような事業がある。どうする」 と速達が届いた。 私は「 農業をする、その事業をやろう」と、即答した。 昭和48年、農大を卒業と同時に近隣晨家8戸で松田農場敷地に「 農事組合法人日進温室組合」を設置し、農水省モデル団地事業を導入した。
総事業2億9000万円、半額補助。管理棟から3haの温室をコンピューターで温度制御できた。 「 西日本一の大規模施設園芸団地が誕生」と注目された。設立して15年日、熊本県農業コンクール組織 農業部門で秀賞。晨林水産大臣賞を受賞した。翌年、父は「 施設田芸振興 功労」で黄綬褒中を受章した。